公共機関の紹介【家串小学校について】

家串小学校について

家串小学校の運動会にて当サイト管理人の母校の家串小学校についていろいろと語りたいと思います。 実は記憶の欠落が激しく鮮明に覚えていることがある反面、丸ごと覚えていない部分があります。 なるべくありのままを掲載したいのですが事実と異なる記載についてはご容赦いただくと同時に、訂正のご指摘をいただけると非常にありがたいです。

昭和59年(1984年)入学当時、わくわくしながら大きなクスノキのある運動場で全校集会をしていたのを覚えています。
当時はまだ愛南町に合併前の「内海村」で、なおかつ中学校との合同学校だったため、小中学校あわせて結構な全校生徒・児童がいてかなりにぎやかだった印象があります。

運動会

昔の家串小学校

おそらく昭和30年代の家串小学校実は私の母親も卒業生であり、当時の母親の担任の先生が、私たちの時には校長先生として、2世代にわたりお世話になりました。
そして今は私の時の担任の先生が、校長先生として着任しています。

写真から見てもわかるように、母親の世代当時はまだ山が段々畑になっており、農業も盛んだったようです。保育所と小学校、中学校が合同で運動会を行う様子は、昔も変わりなかったようです。

記念写真
実家にあった昔の学年写真。母親がまさかのワイプ写真(笑)

火災により本校舎が全焼(執筆中)

昭和62年3月をもって内海中学校発足に伴い家串小学校となりました。木造2階建てだった校舎をキレイにいつまでも残そうと、たわしで板床を磨いて小学校5年生の平成元年初夏(1989年)7月4日の深夜、小学校が火災で全焼しました。
子供心ながら、あれだけ大きかった木造の校舎が一夜にして巨大な炭屑と化したことは衝撃的でショックを受けながらも、「授業をしばらく受けなくてもいい!」という不謹慎な感情もわきあがってしまいました。
(2日ほどしてすぐに公民館で授業再開したので複雑な気分でしたが(笑))

別館だった体育館、礼法室・調理室、鶏・ウサギ小屋と部活倉庫は無事でしたが、本校舎は全焼。南側にあった工作室とその上階にあった理科室が真っ二つに焼け残っていました。

  • 現在
  • 火災前

小学校全景

火元は私達が授業をしていた5年生の教室あたりということで当時の担任の先生が事情聴取を受けていたという話も聞きましたが、本当のところは老朽化による「漏電」だったとのことです。

1年ほどして6年生になったとき、プレハブの仮校舎が完成し、1年間そこで授業を受け卒業と同時に新校舎が完成。
一回もそこで授業を受けることができるちょっと残念でした。

たしかこの時点で校章が火災で資料とか全部燃えたんで家小OBに資料の提供を呼びかけたんだっけか?

新校舎完成から20年以上が経ちましたが、2012年9月時点で魚神山小学校が廃校になり、魚神山校区を合わせても全校児童が20人を切るという深刻な過疎化が家串小学校をも廃校の危機に追い込んでいます。

村を出た私たちにも責任の一端がありますが、自分の生活に追われてどうしようもないのが現実です。
このページをご覧になった内海村出身の皆様が何かを考えるきっかけになればと思い、締めくくりの言葉にしたいと思います。

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